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スリリングな食 ─緊張感のなかで─

 

食に安心感を求めることが許されるのはいわばお袋や妻、つまり家庭の味くらいで、極論すればそれ以外の食はすべて冒険的な要素が強いといえます。

冒険であるから、スリリングであり、不安定でもあり、当然失敗もあるでしょう。

逆に冒険であるから、新しい出会いや、新発見という喜びもあります。

食べる側が、そうである以上、作る側も、作ることが冒険となります。

お互いの緊張感が相乗効果となって《いい関係性》が成り立てばそれは大変好運なことです。

関係がそのように保たれている限り、うそや偽りの入り込む余地は、少ないといえるのではないでしょうか。

例えば、老舗とは、そのような緊張感によって培われた意識の永続性のことであって、 “カタチ”のことではないといえます。

どちらかがいずれかによりかかると、緊張感が希薄となり、《いい関係性》が崩れ去ります。

老舗とは、確固とした土台の上に築かれた堅固な建造物ではなく、中空の綱を渡り続けている、強固な意志、目覚めた意識をもった“綱渡り人”のことなのではないでしょうか。

そして、その綱を支えているのが他ならぬ食べる側、つまりお客なのです。

確固とした土台の上に築かれた堅固な建造物としての“老舗”というカタチに安心感を求めるというのはお客の意識のゆるみです。

綱をゆるめれば、老舗は足を踏み外し転落することは目に見えています。

最近の老舗と言われる店の転落ぶりについて、老舗を擁護するつもりはありませんが、客側にも問題があるように思えてならないのです。

 

新・そば通信はそば屋さん訪問の記事を中心に蕎麦についてのあれこれを掲載

…2013年末に“蔦屋”でいわゆるそばの香りを実感できた訳ではないのですが、なんの不足感もなく美味しいと実感できた『そば切り』との出会えました。
これは、私が今後ソバ(切り)を食する際の味の基準となる一つの事件でした。
ソバに限らず、こと食べ物に関しては一番といわれるものは可能な限り食したいと思ってきました。なにもそれを自慢したいからではなく、それが自分の中の味の基準づくりだと思っていたのです。
基準を持てば、色んなモノがはっきりと、しかも何のブレもなく見えてくるのではないかと。確かに年明けに訪れた〝玄〟でそのことを実感しました。

意識してソバを食べるようになって約10年、ようやくソバの味が判りかけてきたかな…

 

いろんなカタチの不思議に肉迫! できたらいいナ〜 気長く続けます。

最近関わった仕事で、オープンにできるものを掲載。

ZESTオリジナルフォト

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